学生を見て感じる頭の良い人の考え方
❖頭の良さって一つのような気がする
学生に頭の良さについて話すことがあります。頭の良さには色々あるなどとよく言います。「勉強ができる頭の良さ」「仕事ができる頭の良さ」「人間的魅力まで含めた頭の良さ」などなど...そして、これらの頭の良さは別物と考えられているふしがあります。よく言われる「本当の頭の良さは勉強ができることではない」などの言葉からも推測できます。でも、本当に頭の良さには色々あるのしょうか。能力に違いがあるのしょうか。学生たちを見ていると良くそのような疑問にさらされます。
どのような頭の良さも努力は必要です。しかし、努力してもなかなか伸びない学生がいることも事実です。努力の度合いが同じだったとしても、学生によって伸び率は千差万別であり、世間では伸び率の高い学生を頭の良い学生と評価します。また、勉強だけにとどまらず、何をやっても伸び率の高い学生が存在します。というよりも、何か一つ伸び率が高かった学生は高い確率で、何をやっても伸び率の高い学生の場合が多いです。そのような学生を「頭の良い学生」と定義してその特徴をあげてみます。
❖伸び率の高い学生と低い学生の特徴
さて、伸び率の高い学生と伸び率の低い学生を比べるとある特徴が見受けられます。伸び率低い学生は、何かの説明をしたときに「わかった」と訊くとすぐに「わかりました」と答えます。高い学生を見ると個人差はありますが「わかりました」となかなかいってくれません。でも「わかった」といった時には、そのことについての説明を求めるとしっかりと答えてくれます。ちなみに伸び率の低い学生は、説明を求めても「なんとなくわかっているんだけど…説明は...」と返ってくる場合が多いです。頭の良さってこんなことだと思います。「自分がわからないことがわかる能力」これが、頭の良さだと私は理解しています。
また、学生に歴史上の出来事を聞くと明白です。伸び率の高い学生は、その出来事の経緯から結果まで、なぜそうなったかを含め話してくれます。まるで物語のように話してくれる学生も稀にいて驚かされます。それに対して伸び率の低い学生は年号とその出来事に関わる人物と何が起きたかのみを話してくれます。つまり、伸び率の高い学生は理解に注力し、低い学生は記憶に注力するのです。暗記は応用が効きませんが、理解に注力すれば応用が効きます。これが頭が良い悪いに直結している感じがします。
理解しようとするか、覚えようとするか、次のような事例もあります。面接練習行う際に、ある学生のコミュニケーション能力に対しての理解が「仲良くできる能力」だったため、社会人としてのコミュニケーション能力について少し話しました。その説明をつまらなそうに聞いていた学生は、私の話しが終わった後「どう言えば良いか教えてください」と言ってきました。私が「社会人としてのコミュニケーション能力を理解できれば、おのずと答えは出るのではないか」というと怪訝そうな顔をしていました。そこで「もし、そこで答えを教えたとしても、面接での訊かれ方は一つではないからきちんとコミュニケーション能力を理解しないと今後困るよ」と付け加えました。でも、どうしても答えが欲しいようで、その後、他の教員に答えを聞きまくっていました。理解するための説明を聞かず暗記できる答えを探る一例です。
❖頭が良くなる考え方をしてほしいな
面接でも仕事上の会話でもマニュアル通りの答えを喜ぶ人がいるでしょうか。また、本質を理解しないで形だけできている人が評価されるでしょうか。考えてみれば自明の理です。
「自分のわからないところがわかる人」「暗記ではなく理解をしようとする人」は「努力さえすれば伸び率の高い人」であり「頭の良い人」だと感じます。また、理解できたかどうかは説明できるかどうかと考えてください。
この話をする時に、学生によく使うのが分数の割り算です。「1/2÷1/3=3/2になる理由を日本語で説明してください」というと「分数の割り算は割る数の分母と分子をひっくり返してかけるから3/2」と答える学生が半数以上いたりします。これは分数の割り算を暗記で覚えている例です。理解した場合の答えはネットで「分数 割り算」と検索すると出てきますので答え合わせしてみてください。
学生の皆さんが「理解する人」=「頭の良い人」にであること、もし今まで違ったらそのようになることを期待します。