「本を読め」「新聞を読め」と言うけれど
❖社会人にとって勉強って??
学生に対していつも「新聞を読め」「本を読め」「見識を広げろ」「行動しろ」と口を酸っぱくしながら言っている私なのですが、実を言うと、その言葉は自分に対しての言葉でもあります。自分としては「新聞を読み」「本を読み」「見識を広げ」「行動している」つもりなのですが、就職指導やゼミを行う中でいつも感じるのは「自分の知識の幅の狭さ」「考え方の未熟さ」です。その焦りから勉強は怠らないと心に決めています。(50歳も過ぎてこんなこと言うのもなんですが…本当です…)
学生たちに「私は今、私にとって最高の授業をしている」「しかし、来年は絶対にこれより良い授業をする」「つまり、私にとって授業は実験である」「毎年、今最高の授業をするが来年はもっと良い授業をする」とよく言います。この言葉を言うと学生たちは「実験ですか?」嫌な顔するのですが、その後に前年との違いや、今の実力で最高の授業をしていることを説明すると納得します。続いて「私は死ぬまで成長を続けたい」と言うと、マタマタ…って顔をして私を眺めます。さらに、学生が卒業した後に遊びに来て、ゼミに一緒に入った時に「去年はこんな企業とのコラボなかったですよね」と言われた時には、満面の笑みで「成長するって言ったよね!!有言実行さ!!」と鼻を膨らませながら言ってみます。
❖成長はいつまでも続く…主体性があれば…
さて、学生の皆さんは今まで学校という場で成長し続けてきたのではないかと思います。努力もしたと思います。しかし、ここまでの成長は高い確率で外部から与えられるものだったのではないでしょうか。母ちゃんや父ちゃんから、近所の人たちから、学校の教員から、部活の顧問から…etc.これって学生の特権です。社会人になると勉強は主体的に行うものです。誰が与えてくれるわけではありません。社会は保護者や教員と違い勉強を強要しません。大人ですから自分の考えでどうするかです。でも、そこで差がつくことも事実です。
「新聞を読め」「本を読め」「見識を広げろ」「行動しろ」これはすべて勉強です。誰も「勉強しろ」と言ってくれない社会人になる前に気付いて欲しいとせつに思います。勉強はすればするほど未熟さに気付きます。そして、もっとしたくなるものなのです。
主体的に行動する。自分を成長させるために、絶対に必要な能力と考えてください。