JOB. HUNTING.
TEXT. BOOK.
就職活動が
人を成長させる
「素直さ・主体性・協調性」
社会人としての考えを
創る活動が就職活動
そのために今できること
理念
2-3 自分伝記の例(自己PR系)
The best way to predict your future is to create it.-Peter Drucker
未来を予測する最良の方法は、未来を創ることだピーター・ドラッカー
降ってくる未来を待つのではなく、自ら未来をつかみ取る。就職活動を行うにあたり最も大切なことはこの気持ちです。また、就職はゴールではないスタートです。就職の先にある未来を明確にイメージし、そこに向かって決してあきらめないことが将来の幸せを創ります。未来を創るためには未来を創り上げる考え方が重要となります。その考え方を研究し続けるゼミが「就活ゼミ:ジョブハンティングゼミナール」です。
幸せな将来を創ることに早すぎるということはないです。是非、このホームページを使って、将来を考えて欲しいと考えています。
前項で紹介した学生の自分伝記全文です。非常に長いのですが是非読んでみてください。皆さんの参考になると思います。
高校1年生
高校に入り中学と同様バドミントン部に所属した。中学校までとはまるで違って、メニューがハードになったり、他の中学から来た子たちのレベルの高さに驚いた。
先輩との関係もすごく良くて、先輩は私たちを妹みたいにかわいがってくれて、部活の終わりにご飯を一緒に食べに行ったり、部活が終わっても残ってみんなでバドをしたり、中学校の時には経験できなかったことだったので、本当に楽しかった。
私はバドミントンは姉の影響もあり小学校から始めていた。しかし、なかなか勝つことができずに自分に自信を失くしていた。同輩にも昔からバドミントンをしてて、中学から試合で活躍してた選手もいたし、顧問の先生が姉の時も顧問をしてる人だったから、「姉と比べられたくない」「私もバド歴長いほうだから、みんなみたいに強くなれる」と強い思いが出てきた。
それから、部活に取り組む姿勢を変えた。フットワークではシャトルが来るイメージを持ちながら「速く!もっと速く!」と自分を追い込みながら練習したし、自分がコートに入っていない時も筋トレ・掛け声を忘れなかった。部活で先生から注意をされたこと、アドバイスを家で日記にして、次の練習では「今日はこれを意識してやる」と決めて、一つの弱点を意識しながら練習に取り組んだ。
高校2年生1学期
高校2年生になり、先輩とダブルスを組んだ。私はずっとシングルスで出ていたので、ダブルスも初めてだし、先輩と組むということでプレッシャーがすごかった。「迷惑をかけられない」という思いが空回りして、ミスを連発したり、ポジション取りを上手くできず、任せるところを取りに行ったりと、ボロボロだった。ダブルスの動きの速さや複雑さに慣れなかった。
先生にアドバイスをもらいに行くと「もっとパートナーを信頼しろ。お前が勝手に動くから相手が困る」と言われてしまった。迷惑をかけないようにしていたのが逆に迷惑をかけてしまったのと、先輩を信じ切れていなかった自分に腹が立って泣いてしまった。先輩に謝りに行ったときに「大丈夫だよ。○○ちゃんに助けられた時もいっぱいあるから」と優しい言葉をかけてくれた。
次からの練習では2人でノックの後や、部活の後、必ず反省といいところを確認するようになり、先輩との距離が縮まり、より結束力が強まった。部活終わりには先輩たちのダブルスに協力してもらい、自分たちのダブルスの動きや「これは誰がとる」というのを確認したりした。
試合でも勝てるようになり自信もついた。
先輩にとって高校最後の大会では、団体戦の補欠メンバーになることができ、間近で先輩たちの戦う姿を見た。最後まであきらめない姿が今でも心に残っているくらいかっこよかった。〇○高校を背負って戦っている先輩を見て、私も熱くなったり精一杯応援した。結果は2回戦敗退だったが、先輩たちの築いた、あきらめない粘り強いプレーをしたいと思った。
高校2年夏以降
先輩が引退するとき、私は部長に任命された。「実力も上のほうではないし、まとめる力なんてない」と思っていた私は不安になり泣いてしまった。
先輩は「○○ちゃんなら大丈夫」と言ってくれたが、その時の部長さんのようになれるか、試合で「○高弱くなったね」と言われてしまうのではないかと不安でしょうがなかった。その時、同輩たちが「何泣いてるの!○○(名前)は一人じゃないんでしょ!あたしたちにも頼っていんだよ!」と声をかけてくれた。その時、仲間の存在の大きさを感じたし、その一言でいっきに心が軽くなった。
部長になって最初は「部長なのに弱いってどうなの?」ってことばかり考えていたし、考えれば考えるほど納得のいくプレーが出来なくなってた。
高校2年の夏、フットワーク中に足の靭帯を切り3週間部活が出来なくなった。本当に悔しかった。自分が休んでいる間にライバルがどんどん強くなっていくのを見るのが辛かった。部活中後輩が座っているのを見て注意した時「自分は部長として、まだまだなんだ」や「自分は怪我で出来ないのに、出来るみんなは怠けるなっ」と思ってしまい涙が出てしまった。心配した副部長が「2人きりで話そう」と話を聞いてくれた。その時、部活に来ていた先輩方も心配してきてくれて相談にのってくれた。その時、私の2つ上の代の部長さんに「誰かが嫌われ者にならないとダメなんだよ。私は嫌われていいから厳しいことも言った。その方が相手のためになるから。」と言われた。いい部長、優しい部長でいようとしていた自分に気付き、「今の自分では部の成長はない」と思った。また、自分がクヨクヨしていたってダメで、私が先輩の最後の試合を見て頑張ろうと思ったように、「弱い部長だけど、一生懸命な姿、勝ちたいという強い思いをみせられたらいいな」と思い、部内で一番大きな声を出した。
ケガの期間中、大会が一つ行われたのだが、私はそれに出ることができなかった。パートナーである副部長に「本当にごめん」と言った時、「大丈夫、早く治すことだけ考えよう」と言ってくれた。その後に「○○(名前)はずっとあたしのパートナーだから」と言葉を続けた。私は部長になってから何回泣くのだろうと考えながらも涙が止まらず「ありがとう」しか言えなかった。本当に心の支えとなった。本当に感謝している。副部長だけじゃなく、部員のみんなのサポートがあって思ったより早くギブスをとることができた。毎朝荷物を教室まで運んでくれた仲間たちのおかげだ。
復帰してから、みんなの足を引っ張らないように、毎朝十分間の校内ランニングをした。復帰してからは「追いつけるかな」という不安よりバドミントンができる喜びと「みんなを追いこす」というやる気に満ちあふれていた。休んでいる間、上手い子のプレーやテクニックを見ていたので、休んでいた間はいい勉強になり、早く自分のものにしたくて、うずうずしていた。最初メニューについていくのが体力的にきつい部分もあったが、それさえもうれしかった。近づいてきた合宿までにギリギリ復帰できたのもあり、みんなも部活に力が入っていた。
先生が部活の終わり際にみんなを集めて合宿の説明をしたとき、主に後輩に向けて言った言葉がある。「伝統は口ではなく背中で伝えるものだ。お前達の先輩も全員、先輩の背中を見てきた。先輩の行動を良く見て、その伝統を受け継げ。」後輩に与えられた言葉だったが、私の胸にひびいた。本当に将来ずっとこの言葉を忘れないだろう。
今まで私は自分の姿を見て、やる気を出したり、負けるもんかと思ってくれる後輩がいると考え、人一倍声を出したり、気付いたら人任せにしないですぐ行動したりしていたが、これは、先輩から引き継いだ伝統だったことに気付いた。そして、その伝統を今自分が伝えようとしていると考えると、「しっかりした伝統を伝えないと」という責任感が出てきた。
合宿先では他校との合同合宿なので、失礼のないようにしなければならない。また、人数も多いので、全員が協力してスムーズに練習が進むようにしなければならない。後輩は今回で2回目の合宿だったので、要領が分からなかったり、他校の人もいるので緊張気味だった。同輩と「私達が積極的に動こう」相談して初日が終わった。その日の反省会では後輩達から「積極的に行動できず、他校の人や先輩が動いているのを見て申し訳なかった。」という声があがった。
次の日の練習では「部長準備しておきますから」や、他校の人が変わるといってもモップを手放さずにそうじをしている子もいて…笑 1日目とは行動の速さが確実に速くなっていたので、本当に良かったし、彼女達は彼女達で「部に貢献するために私たちは何ができるか」というミーティングをしていたみたいで、そういう気持ちを持ってくれたことが嬉しかった。
高校最後の大会では団体戦がある。私はメンバーに選ばれ、ダブルスとして出ることになった。パートナーは副部長ではなく、めきめきと力を伸ばしてきた同輩の1人だった。その子と組むことは全然嫌ではなかったが、今まで支えてくれた副部長に、すごく申し訳なく感じた。団体戦ではシングルス1人とダブルス2組が必要だ。シングルスとダブルス1組は確実に決定していたが、私達のダブルスと副部長のダブルスのどっちを使うか先生は迷っていた。
私たちのダブルスは個人としても成長してきていた2人なので、勢いがあり、校内の中で1位のダブルスに勝つこともできて、先生を驚かせることもあった。しかし、大会本番の練習は絶不調。ミスやお互いに遠慮してシャトルをとらないお見合いなど初歩的なミスばかりしてしまった。
先生には「お前達を出そうと思ったけど明日まで考える」と言われてしまった。パートナーとは話し合い、もし出れることになったら、全力を尽くすしかない。今までの成果をぶつけよう。うちらなら出来る。肩ぶっこわしても勝つぞ!!と話し合い当日を迎えた。バスの中では後輩からの手紙・ミサンガをもらった。
私達の目標は●●高校(県内強豪校)と戦うことだった。団体戦が始まり、相手にこちらの選手を知らせるオーダーカードを出すとき、先生に「○○達(名前)でいくぞ」と言われた。選ばれたなら勝つしかない。私達には今までの練習で自信がついていたし、勝つことしか考えなかった。私たちはミニシードだったので、一試合目で勝ったところと戦ったが勝利。次の試合が山場だった。格上の◎◎高校。ここで勝たないと●●高校への道がなくなる。
しかし、やる気と勝つ気しかなかった私達ペアは、強気で試合にのぞめた。絶対に勝たなきゃいけない試合。部員全員が一つになり盛り上げてくれた。△△高校・◇◇高校など地元の学校も応援席から応援してくれているのが見えた。
私はミサンガを握りしめながら「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせていた。自然と不安はなかったし、みんなと一つになれた気がした。◎◎高校との試合では見事勝利。先生と固い握手をして喜んだ。
結局、●●高校とは戦わずに終わってしまったけど、先輩達の代よりいい成績が残せたことがとてもうれしかったですし、先生も涙を流してよろこんで「ありがとな」と一言いってもらえたのが心にのこっています。みんなで涙を流して「ありがとう」といいあえたのが最高の思い出です。
長くなってしまいましたが、自分伝記の例になります。原文そのまま載せました。作文ではありませんので文法や漢字はどうでも良いです。自分の行動と気持ちを自己PRと考えず、ひたすら書き綴ることが重要です。読んでいただくといくつもの自己PRが作れそうではないですか。また、ツッコミが入ったとしてもこれだけ準備していればいくらでも答えられそうではないですか。
自分伝記の良いところは、自分総ざらいに奥行きがでるところです。部活など、長い期間、何かに取り組み続けた方はこのように取り組みに対しての自分伝記を、逆に何もないという方は幼少のころからの歴史を、随筆を書くような気持ちで書いていくと効果的です。